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クッキー・クッキング

 

 

 世の中には二つの人間がいる。

 料理が出来る人間と、出来ない人間だ。

 二つの人間のうち、セリアは後者に属していた。
 幼い頃から何をしても不器用であったし、物覚えも悪い。大人になってからは反復練習さえすればある程度の事はできるようになったものの、料理は失敗した時の損失が大きい。なにせ皮を剥こうとすれば可食部がなくなったうえに怪我をし、火を通そうとすれば炭になってしまうのだ。材料費もタダではないのだから、お金をドブに捨てるような事になってしまう。
 自分に真っ当な生き方を教えてくれた前の相方も、料理は無理だと判断したらしく「お前は料理をしなくていい」と匙を投げられてしまった。
 それでもセリアは特に不自由を感じていなかった。料理が出来る人間よりも多少食費がかかっているのであろうが、十分に生きていける。住んでいるアパートではオーナーの意向で朝晩の食事が有料ではあるが提供されているし、困ったときは林檎などの皮のまま食べやすい果実を摂ればよいだけだ。
 最近一緒に仕事をするようになった今の相方がセリアと同様に料理が苦手だったことは意外だったけれども、波長が合うように感じて寧ろ嬉しかった。だからこそ、彼があんな事を言いだすなんて思わなかったのだ。

 

「クッキーとか作ってみようと思うんだけど、どうだろう?」

 

 その日はアパートで提供される食事が一年のうち唯一確定で休みとなる定休日だった。
 オーナー夫妻の結婚記念日で、朝から晩まで家族サービスと称して夫妻が出かけているからである。というのも、提供されている食事は同じ建物に住んでいるオーナー夫妻が作っており、所謂「おすそ分け」の延長にあるサービスなのである。
 今日が定休日であることとその理由を今の相方、チグに話したところ彼から飛び出したのがまさかのクッキー製作提案だったのだ。

「オーナー達にはいつもお世話になってるし、そんな大事な日なら何かプレゼントしたいんだよね!」
「それでクッキー?」
「そう! 僕も最近、錬金術ギルドで勉強しはじめて、材料をレシピ通りにまぜるくらいなら出来るようになったから、クッキーなら作れる気がするんだ」

 そんなに上手くいく物なのだろうか。何か贈りたいのであれば市販の物を買った方が良いのではないだろうか。そう思うものの、目を輝かせてやる気に溢れているチグを見ると口に出すのは憚られてしまう。

「セリアくんも手伝ってくれる?」
「えっ、俺全然役に立たないよ!? マジで料理向いてないし……レシピも読めないし……」
「材料の準備とかそういうのでいいんだ。いつもご飯ありがとうって、僕たち二人からのプレゼントにしたいんだよね」

 出来れば手作りの物を贈りたいし、形に残るよりは消え物の方がいいだろうし、錬金薬とかよりはやっぱり食べ物だよね、と己の提案に納得しながらチグはウンウンと首を縦に振っている。チグに告げたとおり、自分は全く役に立たないがそれで許してくれるのなら手伝わない理由はないだろう。

「わかった、手伝うよ。で、俺は何したらいい?」
「そうだね……まずはレシピと道具を探すところからかな。セリアくんは道具探してくれる?」

 アパートには共通で使えるキッチンと談話室がある。キッチンに関しては二人とも全く触ったことがないので、どこに何があるか把握するところからだ。チグが言うには、クッキーづくりに必要な道具は材料を混ぜる器と生地を伸ばす棒と台、クッキーの形にくり抜く道具くらいだろうと言うが、どの道具がそれにあたるのか正直よくわからない。キッチンの棚をひたすら開けて、後でチグに確認してもらうしかなさそうである。
 一通り棚の扉を開けて、明らかに違う食器棚の扉を閉めたところで何も出来ることがなくなってしまった。チグはまだレシピ本を探して本棚を確認している。セリアは字が読めないので談話室の本棚に何が入っているのかもわからない。結局手伝うと言ったところで自分にできることなんてたかがしれているのだと少し哀しい気分になりながら、セリアはぼんやりとチグの揺れる尻尾を眺めていた。

「セリアくん、レシピあったよ。そっちはどう?」
「ごめん、やっぱりよくわかんなくってさ。一緒に探して」

 素直にそう告げるとチグは思った通りだと笑う。少しムッとした顔をしたところ「僕も実はよくわかってなかったから」と、照れくさそうに本棚から探し出したレシピ本を差し出してくる。中を見てみると、揃える道具や一つ一つの工程に対して丁寧にイラストの解説が添えられていた。なるほど、これならば何もわからない自分達でもどうにか形になりそうだ。聞けばチグはつい最近本棚でこのレシピ本を目にしていたらしく、オーナー夫妻の結婚記念日の話を聞いてこの本のことを思い出したようだ。
 本のイラストを頼りに道具を一つ一つ探し出す。それから材料を備品から探して取り出す。シンプルなクッキーはどうやら常備されている材料でなんとかなりそうだ。買い出しに行かずに済むのは素直にありがたい。チグが分量を量り、着々と準備を進めていく。計量が終わった材料を元あった場所に戻して自分の仕事はほぼ終わりだ。相変わらずやることがないが、真剣な表情で準備をしている相方を見ているだけでなんとなく楽しい。

「よし、あとは作るだけだ! えっと、まずは……」

 チグがレシピ本を確認する。セリアは邪魔にならないように少し離れたところからその様子を見ていた。
 材料を混ぜる器(ボウル、と言うらしい)に何か材料を入れてチグは小気味良い音を立てながらそれをかき混ぜている。

「うーん、白っぽくなるまで混ぜる、て書いてあるけどどのくらいなんだろう…?」

 セリアくんどう思う? と意見を求められて慌ててボウルの中を覗き込むが正直よく分からない。

「うーん……黄色っぽく見えるけど…」
「だよねぇ……ちゃんと混ざってればいいって事なのかな?」

 怖いからもっと混ぜとこう、と引き続きチグはボウルの中身をかき混ぜ始めた。
 首をかしげながらボウルとレシピを交互に確認しつつ、チグは着実に調理の工程をこなしていく。この調子であれば、おそらくチグは自分と違ってきちんと学べば料理ができるのだろうな、とセリアは少し寂しい気持ちになっていた。

 

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「美味しいけど……ちょっと焦げちゃったね」
「うん」

 出来上がったクッキーを試食して、セリアとチグは顔を見合わせて苦笑した。順調に進んでいたと思われたクッキー作りだが、レシピの時間通りに焼いたはずがまるで焼けておらず、様子を見ながら焼き時間を追加していたら一部のクッキーが焦げてしまった。とはいえ、焦げていない無事なクッキーも幾つかあるので、それをプレゼント用として包めば問題なさそうである。

「あら、セリアくん達が料理? 珍しいわね」
「あれっ、ヒーさん達もう帰ってきたの!?」

 オーナー夫妻へ贈る用のクッキーを選別していたところで当の本人達が帰宅してきてしまった。チグはサプライズとして渡したかったようなのだが、時計を見れば確かにもう日が落ちて大分時間が経っていた。

「ヒヒシャさん、お帰りなさい。キッチン使わせて貰ってました」
「ただいま。いいのよ、皆で好きに使っていいキッチンなんだから。で、何作ってたの? 甘い香りがするからお菓子かしら?」

 多くの人が使えるようにとキッチンの高さなどはヒューラン族に合わせたものになっているので、ララフェル族のヒヒシャからは机の上にあるクッキーはまだ見えていないようである。アッ、と何か思いついたらしいチグは慌てて近寄ってきたヒヒシャを制止する。本当はしっかり梱包するつもりだったが、予定を変更してチグは近くのバスケットに出来上がったキレイなクッキーを盛り付けた。バスケットの持ち手の端に軽くリボンを結ぶと一気にプレゼントらしさが出る。

「はいこれ、ヒヒシャさんと、ナバス・ユバスさんにプレゼントです。僕とセリアくんから」
「えっ、私達に!? どうしたの急に」

 チグから差し出されたクッキー入りのバスケットを受け取り、ヒヒシャは目を丸くする。チグがヒヒシャへ今日の経緯を説明していると、いつの間にかセリアの隣へ来ていたオーナーのナバス・ユバスが何か言いたそうにセリアの服の裾を引っ張った。
 セリアとナバス・ユバスは付き合いが長い。元々、今セリアが住んでいる部屋は前の相方が使っていた部屋であり、セリアはそこへ転がり込んできた。そのため昔彼らがしていた料理の特訓も目撃している。不安そうにしているナバス・ユバスを見てセリアは苦笑した。

「俺は道具の準備とクッキーを型で抜く作業くらいしか手伝ってないよ」

 だからそんなに不安そうな顔しなくて大丈夫、とセリアはしゃがんでナバス・ユバスにそっと耳打ちする。

「さっき味見したし、ちゃんと美味しいよ」

 チグはなんでも出来るようになってすごいな、そう小さく呟いてセリアは笑い合うチグとヒヒシャを眩しそうに見つめた。その姿はどこか寂しそうである。わずかに感じていた相方との共通点がなくなってしまうように感じているのだろう。ナバス・ユバスは隣でしゃがんだまま小さくなっているセリアの頭を慰めるようにそっと撫でた。

「ナーさん? どしたの」
「お前も十分成長してるよ。チグを連れて帰ってきた時もビックリしたけど、あの子からいい影響を受けてるんだと思う」
「そうかな……そうだといいな」

 照れくさそうな様子のセリアの頭をポンポンと励ますように叩いて、ナバス・ユバスは微笑んだ。

 

「ナバス! セリアくん! 早速このクッキーでお茶しましょう!」

 クッキーのバスケットを抱えながらヒヒシャがセリア達に声をかける。二人へのプレゼントとして作ったのだが、どうやらこの場ですぐ四人で食べてしまうらしい。ヒヒシャの隣に居るチグに視線を送ると、優しく微笑んで頷かれたので、どうやら問題ないようだ。彼がそれで満足するのならセリアに反対する理由はない。
 セリアはナバス・ユバスと一緒に紅茶を入れる準備をしながら、このアパートに住み始めた頃はこんな風にお茶の準備をすることすら出来なかった事を思い出していた。もし次にクッキーを作る機会があったら、今日よりももう少しチグの手伝いが出来るようになっているかもしれない。
 相方に頼られて、お世話になっている人に成長していると認めてもらえて、プレゼントを贈るどころか貰ってばかりの一日になったな、とクッキーを囓りながらセリアは満足そうに笑う。

 焼きすぎたせいで市販のそれより固くなってしまったけれど、手作りのクッキーはとても美味しかった。

 

 おわり


2023年発行の「オスラ日常アンソロジー」へ寄稿したイラストと小説の再録となります。

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