「チグ、大丈夫?」
「……セリア…くん…?」
「昨日夕飯食べてないってヒーさんから聞いたよ。ずっと寝てた? 具合悪い?」
翌朝、目覚めるとセリアが隣で心配そうにチグを覗き込んでいた。驚いて返事を返せずにいると神妙な顔をして額に手をあててくる。
「熱……は、ない?? 起きれそう?」
「……うん、大丈夫」
ゆっくりと起き上がりると、元気であると主張するかのようにお腹がぐぅと大きな音を立てて鳴いた。
「あはは、大丈夫そうかな、よかった。パン持ってきたけど食べる?」
「食べる……ありがとう」
まだ心配そうにしているセリアに具合が悪いわけではない事を伝えて、テーブルへと移動する。テーブルの上にはパンだけでなく暖かいコーヒーも二人分準備してあった。
ありがたくパンとコーヒーをいただきながら、同じように食事をしているセリアを眺める。なんとなく胸の奥がぎゅっと詰まるような感覚があって少し苦しい。
「セリアくん、いま少し話しても大丈夫かな?」
「ん、なぁに?」
話をするならば早いうちにしておかなければ。そうして、何も毎晩彼が出て行くことはないと伝えなければならない。貴方は部屋の主なのだから、自分のことは気にする必要はないのだと。同居を誘ったのは自分の方だからと遠慮しているのであれば、そんな気遣いは無用だと。
伝えると決めたけれど、なかなか言葉が出てこない。あくまでも自然に、セリアにこの複雑な気持ちを悟られないようにしなければ。
「えっと……その……僕もこっちで冒険者としての生き方みたいなの覚えられたし、そろそろ一人で暮らそうと思ってるんだ」
驚いた表情でセリアがこちらを見ているが、それ以上顔を見るのが怖くてチグは視線をそらした。理由はわからないけれど、顔を見ていたら泣いてしまいそうな、そんな気がする。
いつまでの彼の部屋に居候しているわけにもいかない。仮に住まいは別になったとしても、今まで同じように二人で協力する仕事は一緒にこなせばよいし、これまでだって常に一緒に居たわけでもないのだから、きっとほとんど何も変わらないはずだ。ただ、少しだけ共に過ごす時間が減るだけ。
なるべくいつも通りの自分であるように努めて、思いを言葉にする。
まだセリアの顔は見られそうにない。
「まだ部屋が見つかった訳じゃないから、すぐではないけど、見つかったら」
「なんで、やだよ、うちにいてよ!」
突然大きな声で言葉を遮られてチグは面食らった。てっきり素直に同意されるだろうと思っていたのにこれは一体どういうことなのだろう。
ようやく彼の顔を見れば、なぜか今にも泣き出しそうな表情をしている。
「でもセリアくん、僕がいて迷惑じゃない…?」
昨日目撃した光景が頭をよぎった。自分はセリアの幸せの邪魔をしているのだと思っていたのに。彼は本当は自分ではなくあの人と一緒に暮らしたいのではないのだろうか。
「迷惑じゃない!!! なんでそんな事言うの?」
セリアの瞳から大粒の涙がこぼれている。
涙そのものより、彼もこんな表情をするのかと何故かそんなことに驚いてしまった。
何も言えずに固まっていると泣きながらセリアが縋り付いてくる。その時に本当に小さな声で彼が「置いてかないで」とつぶやいた音がチグの耳にも届いた。
住まいだけ別にしようと、そう提案したつもりだったのだが、置いていかないで欲しいとは一体どういう事なのだろう。もしかしたら彼の心の傷のようなものを刺激してしまったのかもしれない。いつも天真爛漫で明るい彼の意外な様子に、戸惑いと愛しさを感じてしまう。あやすようにゆっくりとセリアの頭を撫でながら、チグは未だに自分の気持ちの正体には気がつけずにいた。
────
「……落ち着いた?」
「ん……ごめん……」
ずっとしゃくり上げて泣いていたセリアが次第に呼吸を整えるように深呼吸をするようになったので、恐る恐る声を掛ける。セリアは先ほどよりはいくらかしっかりした口調で応えてくれたが、未だチグに縋り付いたままだ。
「僕も急に変な話してごめんね。まさかこんなに嫌がられると思ってなかったから…」
驚きと申し訳なさで胸が潰れそうなくらいに苦しい。彼をこんな風に傷つけたかったわけではなかったのに。
「……チグ、出ていかない…?」
恐る恐る、といった様子のセリアが小さな声で訪ねてくる。不安にさせないよう、はっきりと肯定する。
「うん、出ていかないよ」
「よかった……」
安心して息を吐くセリアを見下ろしながら、チグも彼と同じように安心していた。自分が嫌われていた訳ではなかったのだと、セリアの態度から実感することができる。しかし、そうであれば昨日目撃したアレはなんだったのだろうか。口づけは好き合ってる人同士がするとのだと耳にしていたし、てっきりそう言う事なのだと思っていたのに。
確認するのなら今しかないと、疑問を口にする。流石に昨日見たことを伝えるのは憚られ、単純に恋人が出来たのではないかと問いかけると、セリアは気まずそうな声で唸った。彼が言うには誤解らしいのだが、一体どういう事なのだろう。恋愛事に疎いと自覚している自分ですら、あの場面を見れば“そういう事”だと理解できたのに。
理由を説明する言葉を選んでいるのか、言い淀むセリアの言葉を静かに待つ。そろそろこちらを向いてくれても良いのにと少し寂しく思っていると、ぽつりとセリアがつぶやいた。
「……俺ね、ゲイなんだ。女の人じゃなくて、男の人が好きなの」
外出が多い理由を教えてもらえるのだろうと思っていたのに、想定外の告白が飛び出してチグは首をかしげた。むしろ、昨日見た光景を裏付けするような内容で混乱する。男が好きだから女性の恋人が出来たわけではない、ということなのだろうか。確かにセリアは昨日チグがあの場にいた事なんて知らないのだし、その理屈で誤魔化すことは出来るかもしれない。では、昨日の相手の事は…?
「それで……その………俺……チグのこと、好きなんだ……一目惚れした……」
「えっ…!?」
(セリアくんが好きなのは、あの人ではなくて、僕…?)
混乱して固まるチグに構わずセリアは言葉を続けた。
「初めて会ったとき、どうしてもさよならしたくなくて……。チグ、エオルゼア初めてだって言ってたでしょ、だから………ごめん…」
的を射ない謝罪にチグの混乱は深まる。声をけてもらった事に感謝こそすれ、謝られるような事は何一つないのだが、セリアの中では何か後ろめたい事があったのだろうか。
「最近、夜いなかったのは……えっと……俺……ガマンの限界で…チグが隣で寝てたら、その……無理矢理抱いちゃいそうで、怖くて……」
チグは今までの人生の中で、他人へ恋をした経験がなかった。素敵な人だと思う異性は少しだけ存在していたが、恋とはまた違う憧れだったと思う。素敵な人だから素敵なパートナーを見つけて欲しい、といつも己の存在は舞台の外で、観客視線で他人を見ていた。決して相手と自分が同じ舞台に立つことはないのだと。
だから正直、セリアに好きなのだと言われても、自分がどうするべきなのか、どうしたいのか全く検討がつかない。
「俺、チグに嫌われたくない。一緒にいてほしい。一緒にいてくれるなら、セックスも我慢するから………こんな俺でも、一緒にいてくれる…?」
ようやくセリアが顔を上げてチグを見た。こんな不安そうな彼の表情も、初めて見たような気がする。
セックスというのは愛し合う男女がする行為なのだという認識でいたが、どうやらセリアは自分とそういう行為をしたいらしい事がようやく理解できた。
「……えっと……正直……驚いてるかな…」
不思議と嫌悪感はない。迷惑をかけていたわけではなかった、嫌われていた訳ではなかったという安堵感の方が強かった。彼の様子からして、様々な気を遣わせてしまったのかもしれない事がむしろ申し訳ないくらいだ。
セリアが不安そうな顔のまま自分の見ている。少なくとも今の自分の気持ちだけは素直に伝えるべきだろう。彼の好意をそのまま受け止める事も返すことも今の自分には出来そうにないけれど、返すべき答えは決まっている。
「僕も、セリアくんと一緒にいたいよ」
不安げだったセリアの表情がパッと花が咲くように一気に明るくなる。嬉しそうにするセリアに慌ててセックスに関しては少し待って欲しいと伝えると、それでもいいと彼は満足そうに笑った。一緒にいられるだけで嬉しいのだと言う。
「でもホント寝ぼけて襲いかねないから、夜にいなくても気にしないで。ごめんね」
「そっか……」
結局現状は変わらないのか、とチグは残念そうに相づちを打った。
男同士でするセックスというのは一体どういう行為なのだろう。そもそも、男女でする方もよく知らないのだから、想像のしようもない。彼がここまで遠慮するということは、そんなに大変なものなのだろうか。
「だけど僕は……セリアくんがいないと、寂しいかな……」
独り寝を寂しいと、そう思うようになってしまった自分が恐ろしい。自立しようと故郷を出てきたのに、結局依存先が家族から目の前の相方に変わっただけなのではないだろうか。それでも、チグは彼と共にいたいし、できれば以前のように毎日自分の所に帰ってきて欲しい、そう思ってしまう。
そんな気持ちのまま「寂しい」と素直に伝えると、セリアはすっかり驚いた様子で戸惑っている。
あぁ、そうか。もしかしてコレが恋というものなのかもしれない。隣に居て欲しい、独占したい、昨日見たあの人物ではなく、自分を選んで欲しいと、そういう気持ちが己の中にある事にチグはようやく気がついた。
「でも、セリアくんが僕と寝るのがつらいなら、仕方ないよね」
どう返答するべきなのか悩んでいる様子のセリアに謝って、彼を解放する。どういう訳かすっかり恐縮して謝罪を繰り返すセリアが愛しくて、チグは彼の角にそっと自分のそれをこすりつけた。いつもこちらの目に悪いくらいに仲が良いチグの両親がよく行っていた行為だ。
アウラ同士で行う愛情表現なのだが、セリアにはどうやら馴染みがないらしい。不思議そうに首をかしげている。そういう意味でも、昨日見た男性とはそういう関係ではなかったのかと少し嬉しくなってしまう自分がいる。もう気がついてしまったら戻れそうになかった。
「アウラ同士でね、愛情表現をするときはこうするんだよ。その……他の種族がしてるキスと同じなんだって」
改めて声に出して説明するのは少し気恥ずかしい。けれど、きちんと言葉にして伝える必要がある。つい先ほど気づいたばかりの気持ちではあるけれど、ちゃんと自分もセリアの事が好きなのだと。
「チグ! ありがと。嬉しい。大好き」
言葉を続けようとしたところを遮るように抱きしめられて、唇を塞がれる。優しく触れている彼の唇の柔らかさや吐息を感じて、一気に顔に血が上るのがチグ自身も分かった。永遠のような一瞬のような時間の後でセリアの唇は小さく音を立ててチグのソレをついばんでから離れていった。
唇は離れたけれど、セリアの顔は未だ目先にある。嫌じゃないかと問われてただ頷くことしかできなかった。
「よかった。ねぇ、時々、コレしてもいい?」
「う、うん……いいよ……」
肯定すれば、嬉しそうなセリアに改めて抱きしめられる。
本当は自分も好きだと伝えようと思ったけれど、突然のキスに心臓が破裂しそうなくらいドクドクと脈打っている。とてもではないけれど、今は言葉に出来そうにもない。
またあとで改めて伝えるようにしよう。チグは諦めてセリアの背にそっと腕を回して、その体を抱きしめ返した。
おわり