xxxHOLiC

ツンデレラ

 それは、遠い昔の物語?

 昔々、ツンデレラと呼ばれる少女、ではなかった少年がおりました。
 彼、四月一日君尋は幼い頃に両親を事故で亡くし、縁あってとある女性の館で毎日こき使われておりました。
 これは、そんな少年の物語。

ツンデレラ

「ツンデレラー! ちょっと来なさい~!」
「はいはーい! 今行きます~!!」
 自分を呼ぶ主人の声に、ツンデレラと呼ばれた少年、四月一日君尋は畳んでいた洗濯物をひとまず置いて慌てて立ち上がった。
 ツンデレラ、というのは自分を使用人として雇っている女性、壱原侑子がつけたニックネームだ。四月一日は理由を何度も尋ねたが、結局教えて貰えたことは無かった。

「それじゃあ今日はいつものように掃除と洗濯と、それに宝物庫の掃除もしてもらおうかしら。あと明日の朝は焼きたてのパンが食べたいから、準備ヨロシクね」
「はいはい、分かりました。パンは何がいいんですか?」
「ん~、それは任せるわ。あぁそう。パンはともかく、宝物庫の掃除が終わったらお城の舞踏会に行ってもいいわよ」
 にやり、と意味深に笑う侑子に四月一日はもううんざり、といった風に肩をすくめる。
 今夜はこの国の城で舞踏会が開催されるのだ。侑子も城から招待状が来て今から向かうところなのである。
「だから行きませんよ! 王子とか舞踏会とか俺興味無いですし」
「またまたぁ~!」
「あぁもう、ほら、早く行かないと遅れますよ!!」
 自分をからかって遊ぶ侑子の背をぐいぐいと押して四月一日は侑子を送り出した。

「ん~! 疲れたぁ」
 いつものように一通り掃除や洗濯、その他の雑用や頼まれていた宝物庫の掃除を済ませて四月一日はリビングのソファーに腰を下ろして伸びをした。
「今頃侑子さん達はお城の舞踏会かぁ~。宮廷料理とか、ちょっと興味あるなぁ」
 やっぱり少し行ってみたかったかも、と四月一日が思った時だった。突然目の前が眩しい光に包まれる。
「あなたの願い、かなえましょう」
「…へ?」
 聞き覚えのある声に、四月一日は光で眩んだ目を擦って必死に視界を取り戻そうとする。なんとか薄く目を開くと、やはり見覚えのある女性が妖しい笑みを浮かべて佇んでいる。
「侑子……さん?」
「そうね、けれど私は貴方が知っている“侑子さん”じゃないのよ」
「……どういうことですか?」
「ふふ、いいのよわからなくても」
 柔らかく微笑む彼女は四月一日が知っている彼女のソレ同じだと言うのに、一体どういう意味なのだろう。四月一日は首をかしげたがそんな事は気にせず彼女は続けた。
「私はあなたの願いを叶えに来たの」
「願いって…俺、そんなのないですけど」
「今思ったでしょう? 舞踏会に行きたいって」
「いや、それは……」
 確かに思ってしまったが、願いと言うような大げさな事ではないし、行けなかったからといって決して後悔するような事でも無いはずだ。
 そもそも、
「どうして俺が行きたいって思ったって分かるんですか?」
「どうしてだと思う?」
 四月一日の問いかけに彼女は微笑んで問いかけ返してくる。どうやら答えるつもりはないらしい。
「とにかく、時間がないわ。そうね、ここにカボチャを二つ持ってきて」
「カボチャですか?」
「そう、早くして」
 真剣な口調で言われてしまえばいつもの癖もあるのだろう、四月一日は慌てて屋敷の敷地内にある畑へとカボチャを取りに行った。
 畑からカボチャを持って戻ると、彼女は右手になにやら可愛らしい杖のようなものを持って相変わらず微笑んでいた。
「持ってきたようね、じゃそこにカボチャを一つ置いて」
 彼女は四月一日にカボチャを置くように指示し、また四月一日もそのすぐ隣に立つように言うと杖を楽しそうに掲げて大きく息を吸った。
「ピ~リカピリララポポリナペーペルト~!」
 彼女が振る杖から、不思議な音があたりに鳴り響く。
「ツンデレラに馬車と綺麗なドレスを~!」
「な……なんじゃそりゃー!!」
 やけにファンシーな呪文に困惑している四月一日を眩しい光が包み込む。しばらくして恐る恐る目を開けると、そこには大きなカボチャの馬車があった。
「ツンデレラ、よく似合ってるわよ」
「…え?」
 目の前の大きなカボチャの馬車に釘付けになっていた四月一日は、彼女の一言でようやく自分のしている格好に気がついた。そういえば、先程彼女は確かに言っていたではないか。馬車とドレスを、と。
「なななな、なんですかコレー!!」
 四月一日が身にまとっていたのは水色の美しいドレスだった。胸元には大きな花のコサージュ、布の弛みを上手く利用したそのドレスは胸が全くない(男なので当たり前だが)四月一日にもよく似合う。
「すごく似合ってるわよ」
「そういう問題じゃなくて!! どうして俺がこんな格好しなくちゃいけないんですか!」
「だって舞踏会なのよ。ドレスで行かないと踊れないじゃない」
「踊らないです!!」
 必死の形相で反論する四月一日にくすくすと笑いながら、彼女はすっと四月一日に靴を差し出した。
「…これは?」
「見てわかるでしょ。ガラスの靴よ」
「……はぁ…」
「折角私がここまでお膳立てしてあげたんだから、四の五の言わずに舞踏会に行きなさい」
 突然現れて、勝手にいろいろと用意をしたのは貴女じゃないですか、と四月一日は言いかけたがぐっと思いとどまる。そんな事を言おうものなら、何を言われるか分からない。
 四月一日は仕方が無くそのガラスの靴を受け取り、今履いていた古ぼけた靴からそれに履き替えた。ヒールに慣れていない四月一日の為なのか、さほど高いものではなかったが、それでも四月一日は上手く重心が保てずに四苦八苦している。
「さぁツンデレラ、お城の舞踏会、楽しんでいらっしゃい」
 そう言いながら彼女は残っていたもう一つのカボチャを拾い上げた。
「このカボチャは願いを叶えた対価として貰っていくわね」
「はぁ…」
「あぁそう、言い忘れてたけど十二時になったら魔法は切れて貴方の格好やその馬車は元に戻るわ。だからそれまでに帰ってくるのよ」
 十二時なんてそんな遅い時間まで居てたまるか! そう思いながら四月一日は仕方なくカボチャの馬車へと乗り込むのだった。

「別に来たくなんてなかったんだけどなぁ」
 華やかな舞踏会のホールの片隅で、四月一日ははぁと小さく溜め息をついた。四月一日はダンスなんて一度もしたことが無かったので踊ることも出来なかったし、男と踊らなければならない今の状況もとんでもなかった。
「あ、これ美味しい」
 とりあえず四月一日はダンスホールを避けるように並べられたテーブルの上の料理に舌鼓を打つことにした。元々四月一日は料理をすることが好きであったし、なにより今は毎日四人分の食事を切り盛りしているのだ。お城で働く一流のシェフが作る料理の技を、少しでも盗めたらと必死になってしまう。
「う~ん……これは、ええっと…」
 口にしたスープの出汁についてうーんと唸っているとすぐ隣から伸びてきた腕にどんとぶつかられて四月一日は軽くよろめく。
「っと、何すんだよ!」
「お前こそ、そんなところでぼーっとしてるな。邪魔だ」
 腕の主はそう宣うと四月一日のそばにあったカナッペを一つつまみ、口に放り込む。
「…コイツ!」
 その一言にカチンと来た四月一日は男に掴みかかろうとして思いとどまった。ただでさえ舞踏会という華やかな席で大きな声を出しては皆の注目を浴びてしまう。その所為で来たくないとあんなに言っていた侑子に見つかってしまっては大変だ。そうでなくても、今自分は不本意ながら女装をしている訳だし、この先ずっとこの女装をネタに彼女にからかわれてしまうと思うとぞっとする。
 沸々と心の底から沸き上がる怒りを必死に押し込めて、四月一日はその場を後にした。

 四月一日はそうして料理を食べたり、舞踏会の様子を眺めながらしばらくぼうっとしていた。
 そういえば、と四月一日は考える。今日の舞踏会はこの国の王子の結婚相手を決める為のものらしい。そのためか、今ダンスホールで踊っている女性達は皆気合いを入れた化粧をしていて、踊りながらもどこかそわそわと辺りの様子をうかがっている節がある。ということはまだこの場に主役である王子が来ていないという事なのだろう。
(まぁ、関係ないけど)
 ふぁ~と大きなあくびをして四月一日がそろそろ帰ろうかと思った時だった。突然、不自然に曲が止まりきゃーという黄色い声が上がる。四月一日も思わず女性達の視線の先を仰ぎ見た。
(げ、アイツ…!!)
 黒い見事な燕尾服に身を包んだこの国の王子は先程四月一日の横でもぐもぐと阿呆な顔でカナッペを食していた男だったのだ。
(最悪だ。あんな奴がここの王子だったのかよ。帰ろう)
 何故か酷く苛々した気分になった四月一日が帰ろうとした時だった。
「君、」
 後ろから先程聞いたいやに耳障りな声がする。四月一日は自分が呼び止められていると言うことに気づかずにそのまま立ち去ろうとした。
「そこの、黒髪の君」
 周りの女性達の視線が自分に集中していることに気づいた四月一日はようやく呼び止められた人物が自分である事を理解して立ち止まる。嫌々振り返ると意外と近くに男は立っていた。
「私と踊ってくれますか?」
「……え?」
 先程とは全く違う穏やかな物腰に四月一日が面食らっていると、男は四月一日の手を取りダンスホールの中央へと導いた。
「え、ちょっ…俺、踊りなんか…!!」
「俺に合わせてりゃ大丈夫だ」
 男が耳元で囁くと同時に曲が流れ始め、未だ困惑している四月一日には構わず男は右足を大きく前へと踏み出した。

(コイツ、悔しいけど本当に上手いな)
 男にエスコートされるままに踊りながら四月一日は考えていた。はじめこそ戸惑っていた四月一日も次第に踊りというものに慣れたのか考える余裕も出てきたようで、心の中で軽く舌打ちする。
(なんていうか、似合わないよなコイツにダンスとか。さっきの…仏頂面で飯喰ってる姿の方がよっぽど似合う気がする)
 ぼんやりと考えながらすぐ近くにある男の横顔を眺めていると、男はふと四月一日の方に視線を移して口角を少し上げた。
「何考えてる」
「…別に」
「考え事する余裕も出てきたのか」
「五月蝿いな!! 何なんだよ一体!」
「いや、別に」
 四月一日が小声で怒鳴ってみせると、男はなお楽しそうな表情に変わる。と言っても、ほとんど気づかないような微妙な表情の変化だ。しかしソレに敏感に気づいた四月一日の機嫌はぐっと悪くなる。けれどもダンスのことについては全く知識がない四月一日は仕返しをしてやることも出来ず、ただただ早くこの時間が過ぎればいいと願うしかなかった。

「意外と上手だったじゃないか」
「知るかよそんなの! 俺に無理矢理ダンスなんかさせやがって!!」
 城のテラスで夜風に当たりながら四月一日はふん、と不機嫌さを隠そうともせずにそっぽを向いた。
 曲が終わり、気づいてみると四月一日達以外で踊っている人はだれもおらず、しんと辺りは静まりかえっていた。周りの人々の注視する視線と静けさに耐えきれず、四月一日は慌てて男の手を振り払ってここまで逃げてきたのだった。
「つーか何でお前もついて来るんだよ!」
「苦手なんだよ、舞踏会とか」
 ふぅ、と男は心底嫌そうに溜め息をつく。
「でもお前、踊り上手かったじゃないか」
「そりゃ小さい頃から仕込まれてるからな。仕方ねぇよ」
「ふぅん……」
 そういうものなのか、と四月一日は思った。国の王子と一介の召使いにすぎない四月一日とでは生活もまるで違うのだろう。王子なんて人物は一日中贅沢な暮らしをして、毎日楽しく生きているのだろうと思っていたが、もしかしたら四月一日では想像も付かないような窮屈な生活を強いられているのかもしれない。
「あのさ、」
 四月一日がようやく男に声をかけようとしたその瞬間だった。ゴーンと低く大きな音が辺りに響く。十二時を告げる鐘の音だった。
『十二時になったら魔法は切れて貴方の格好やその馬車は元に戻るわ。だからそれまでに帰ってくるのよ』
 彼女の言葉が四月一日の脳裏に甦る。
「なんだ?」
「ゴメン! 俺帰らなきゃ!!」
 魔法の効果の期限なんて関係ないと思っていた。十二時までこの場所にいるはずがないと四月一日は思っていたのだ。
 思いの外焦った四月一日は慌てて走り出す。
「おい! ちょっと待て…!!」
 後ろで男が呼び止める声を無視して四月一日は必死で走った。慣れないヒールのガラスの靴が片方脱げてその場に留まったが、今の四月一日にそれを気にしている余裕は無かった。

 あの日から数日が過ぎていた。四月一日は掃除のためにはたきをかけながら何度目か分からない溜め息をつく。
「ツンデレラ、最近随分と溜め息が多いんじゃない?」
「あ、侑子さん…」
 にやにやとどこか楽しそうな表情で侑子は四月一日に声をかけた。
「俺、そんなに溜め息ついてますか?」
「えぇ、とっても。お城で会った王子様のことが忘れれないのね?」
「なっ…!! ち、違いますよ!! どうしてそうなるんですか!
 そもそも! 俺は舞踏会になんて行ってません!!」
 一生懸命宝物庫の掃除をしてました! と、反論する四月一日に侑子は呆れたように微笑んだ。四月一日が、この国の王子である百目鬼静とダンスをしていたのは明白だというのに四月一日はいっかな認めようとしない。四月一日は頑固だから、と侑子は諦めていたがそれでもその事をネタに四月一日をからかうのは楽しかった。
「四月一日」
 ツンデレラ、という愛称をつけられてしまってから一度も呼ばれたことの無かった自分の本名に、四月一日は思わずビクリと固まる。声の主を振り返れば普段のその姿からは想像できないほど真剣な目をしていた。
「意地を張るのもいいけれど、ちゃんと素直にならないと駄目よ。そうでないと、必ず後悔することになるわ」
「どういう意味ですか? それ」
「そのうち分かるわよ」
 困惑する四月一日をよそに、侑子は見る方がドキリとするような妖艶な笑みを浮かべて部屋を後にした。
「一体、どういう事なんだろう…」
 ぽつりと呟いても答えは返ってこなかった。

『王子が舞踏会の日にガラスの靴を忘れていった娘を捜している』
 そんな噂が四月一日の耳に入ったのはそれからさらに数日が経った頃だった。もう何日も城の家来達がそのガラスの靴を持って若い娘のいる家を渡り歩いているらしい。四月一日は棚に密かにしまっていたガラスの靴の片方を取り出して小さく溜め息をついた。一体あの男は何を考えているのだろう。「忘れ物だ」とかなんとか言って靴を返すつもりなのだろうか。
「まぁ、関係ないか」
 娘を捜しているというのなら、絶対に見つける事なんてできないのだから。
 四月一日は自分の胸が切なく痛むのに気づかないふりをした。
「ツンデレラー!! ツンデレラー? ちょっとー!」
「はいはーい! 今行きますー!!」
 慌てて四月一日は靴をしまうと、侑子の呼びかけに答えるために階段を駆け下りた。
「ツンデレラ、遅いわよ~」
「スミマセン、ちょっとぼーっとしてて」
「まぁいいわ。今日の夕飯なんだけど」
 侑子がそう言うと侑子の座っていたソファーの側からマルとモロがワインを一瓶持って姿を現した。彼女たちは四月一日よりも前から侑子に仕えているらしい。本名はマルダシとモロダシという名前なのだそうだが、四月一日はそれ以上の事は知らなかった。
「昨日依頼人からすごくいい赤ワインを貰ったのよ。だから夕飯はコレにあうモノをよろしくねv」
「はぁ…」
 マルとモロからワインを受け取り、四月一日は小さく息を吐いた。まだ昼を過ぎたばかりだと言うのにもう夕飯の準備の話か、と些か呆れる。それに昨日貰ったワインならば昼食の時に言えば良かったではないか。そう思っていると屋敷の呼び鈴が鳴る音がした。
「あ、はーい! 今行きます」
 ワインをとりあえず机の上に置き、四月一日は玄関へと向かう。そこにはきっちりとしたスーツを着こなした可愛らしい女の子が小綺麗な箱を手に持って立っていた。
「突然失礼いたします。私は城からの使いの者で九軒と申します」
 そう言うと、彼女は手にしていた箱の蓋を開ける。
「このガラスの靴がぴったり合う方を探しているのですが、ご協力願えますでしょうか?」
 箱の中には四月一日が忘れていったあのガラスの靴が入っていた。見間違うはずのないそれに、噂は本当だったのだと四月一日は思う。
「え…あ、はい…少々……お待ち下さい」
 歯切れの悪い返事をした四月一日は踵を返し侑子の元へ戻りソファでゆったりと煙草をふかす彼女に事の次第を説明した。
「侑子さん、…なんかお城から人が来て、えと…その、靴に合う人を探してるって……」
「…わかったわ」
 ゆっくりとソファから立ち上がった侑子は酷く動揺した風の四月一日の肩をポンポンと軽く叩いた。
「? 何ですか?」
 彼女の行動の意図が分からず、四月一日は首をかしげ侑子を見上げる。彼女はとても優しい瞳で微笑んでいた。

「どうやらどなたの足にも合わないようですね」
 侑子、マル、モロとそれぞれガラスの靴を履いてみたが三人の足にしてはサイズが大きく、九軒と名乗った従者は残念そうに息を吐いた。四月一日の足は決して大きいわけではなかったが、それでも男性の足は女性のそれより大きい為仕方がないといえばそうだろう。
「そういえば、先程出迎えてくださった方はどちらに?」
「あぁ、少し待ってくださいね。
 ツンデレラー! ちょっと来なさい~!」
 侑子が呼ぶと、遠くの方から返事が聞こえる。おおかた、あの靴に関わりたくなかったのだろう。侑子はただ苦笑するだけだった。
「はいはい、なんですか侑子さん」
「お待ちしておりました、貴方もこの靴を履いてみてください!」
「……え?」
 突然の九軒の言葉に驚いてその場に固まる四月一日には構わず、彼女はさぁ、とガラスの靴を差し出してくる。
「え、ちょ、ちょっと待ってください! 俺男なんですけど…」
「そんな事関係ありませんよ。王子からは『男女問わず履かせるように』と仰せつかっておりますから」
「ええええええええぇぇっ!?」
 ニコニコと、極上の笑みを浮かべて九軒は四月一日が靴を履くのを待っている。四月一日はその靴を前に一歩も動けなくなっていた。この靴を履いたらのなら、一体どうなると言うのだろう。履けば四月一日の足にぴったり合うという事は分かり切っている。これはあの時彼女から自分に渡された靴に間違いないのだから。
「どうされました?」
「えっ…あ、すみません」
 声をかけられて我に返る。すみません、と言ってはみたもののどうしてもこの靴に足を入れる気にはなれない。けれど、履かない限りこのまま何も変わらない。四月一日は意を決してそっと靴に足を通した。
 案の定、ピッタリとその靴は四月一日の足にフィットし、九軒は感嘆の声をあげる。あぁ、困ったどうしよう、等と思っている四月一日には構わず九軒は外に止めてある馬車に向かって嬉しそうに駆けていった。一体どうした事だろうと困惑していると再び九軒が誰かを連れて戻ってきた。
「………あ」
 どうして、彼の人がこんな所に居るのだろう。始めに頭に浮かんだ疑問はそれだけだった。
「ようやく見つけた」
 数日ぶりに聞いた少しハスキーな声に、四月一日の背をゾクリとした何かが走る。こんな感覚なんて知らない。味わったことがない。四月一日はただただその場に立ちつくす事しか出来なかった。
 ゆっくりと歩み寄ってくる王子、百目鬼静を前に四月一日は思わず一歩後ずさる。震える四月一日の手をそっと取り、百目鬼は臆面もなくその手の甲に口付けた。
「ちょ……おま、何ッ……!!」
「ずっと探していたんだ。お前がいきなり帰るから」
「……はぁ?」
 熱っぽく囁かれ、心臓がバクバクと大きな音を立てて脈打っているのがよく分かった。四月一日はその音が彼に伝わらぬよう、必死に冷静を装う。
「俺と一緒に来い」
「…なんで命令形なんだよ」
 精一杯の軽口に彼は薄く笑む。
「じゃあなんて言えばいい」
「…知るか」
 四月一日は顔を真っ赤にして俯いた。
 いつの間にか侑子も九軒も、そしてマルとモロもこの場から居なくなっていて、壱原邸の広い玄関には四月一日と百目鬼の二人だけになっていた。その事実に気づくと、四月一日はますます恥ずかしくなって未だに自分の手を握っていた百目鬼の腕を払おうと試みる。しかし百目鬼はそれを許さない。
「じゃあ……そうだな。俺と結婚してくれ」
「……お、男同士じゃ結婚なんてできないだろ阿呆ッ」
「突っ込む所はそこか?」
「へ……? ん? あ、ちょっと待て、お前今なんて…」
 百目鬼の呆れたような声に四月一日は我に返る。
「だから、結婚してくれって」
「は、はぁ!? おま、んな唐突に…!」
「好きなんだ、お前が」
 真っ直ぐな瞳に見つめられて、思わずたじろぐが此処で負けてしまう訳にはいかない。そんな妙な意地が四月一日を支配する。
「好きってお前なぁ…。俺たち出会ったばっかりだろ? そんな好きとか言われたって…」
 困る。そう、口では言えても心は御せない。四月一日も心では彼を好きだと思っていて、好きだと告げられて嬉しいと思ってしまっているのだから。
「一目惚れって奴は理由にはならねぇか?」
「…………そんなん…」
 ぽそりと小さな声で呟いて、それきり四月一日は黙りこくってしまった。
 どうしたらいいのか分からない。見当も付かない。このまま、この男について行ってしまっていいのだろうか。何より、本当に男同士では結婚なんてできないのだ。彼はこの国の王子で遠くない未来には国王となる身分なのだ。そんな彼が男と結婚するなんて、たとえ自分達が良くても周りは認めないだろう。認められてはならない立場なのだ。
 けれど。
 四月一日の脳裏に、数日前に侑子からいわれた言葉が甦る。
『意地を張るのもいいけれど、ちゃんと素直にならないと駄目よ。そうでないと、必ず後悔することになるわ』
 彼女はこの事を指していたのだろうか。本当に後悔するのだろうか? 素直になったところで、結局の所後悔するのではないだろうか? そんな思いが四月一日の中をぐるぐると駆けめぐり、答えは一向に出る気配がない。
「やっぱり駄目か?」
「…あ……」
 俯いた四月一日をのぞき込む百目鬼の表情が切なく歪んでいることに気づいた四月一日はどうしようもなく胸が高鳴る。あの仏頂面が自分の所為でこんな顔をするのかと思うともうどうしようも無かった。
 四月一日は意を決して目の前の百目鬼に抱きついた。突然のことにさすがの百目鬼も驚いたようで、きょとんとした表情で四月一日を見つめる。
「…お、お…俺も、お前の事は、嫌いじゃない」
 この期に及んで素直に好きと言えない自分が少しだけ憎らしい。けれど、伝えたいことは十分相手に伝わったらしい。証拠に彼はぎゅっと四月一日を抱きしめた。
「……一緒に、来てくれるか?」
「…うん……」
 今度は素直に肯定の意を示すと、百目鬼はさらに四月一日の体を強く抱きしめた。

 こうしてツンデレラと呼ばれていた少年は城へと迎えられ、そこで後の一生を暮らすこととなりました。
 この後、四月一日は意外にも我が儘で亭主関白な王子に怒ったり呆れたりと様々な苦労をするわけですが、それはまた、別のお話。

=おわり=


2006年の3月に発行した同人誌「ツンデレラ」をサルベージ。
書きだしたら意外に楽しくて結構な字数になってました。
モコナを出しそびれた事が唯一の心残りです…(笑)

投稿日:2010-01-02 更新日:

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