「ねぇ、ディアス」
「…何だ?」
何気ないただの夕暮れだった。二人は本日の稽古を終えて宿へ帰る途中だった。
「ディアスの得意な楽器ってチェンバロなんだよね?」
「…一応……小さい頃に習ったが…得意というほどでもないぞ?」
突然の話題にディアスは少々驚きつつも答えた。そもそも、自分がチェンバロを弾けると言うことをクロードに教えた覚えは無かったのでディアスは不思議に思ったが、何故か自分とクロードの関係を応援したがるレナの顔を思い出し、自然と納得した。
(…またレナが余計なことを教えたのか…)
少しウンザリした気持ちでディアスは苦笑いをする。
「で、なんなんだ?」
「僕…ディアスのチェンバロの演奏聞いてみたい」
「…は? 何故そんな急に…」
ディアスはこんな展開を予想していなかったのか間抜けな声をあげる。
「しかしクロード、チェンバロはそう何処にでもあるような楽器じゃないぞ? 楽器がなければ演奏は無理だな」
見た目はピアノと少し似ているが、仕組みや音色は全く違う。今まで旅をしていて宿にピアノがたとえ使われていなくても置いてあった宿はいくつかあったが、チェンバロは楽器を扱っている店でしか見たことがなかった。
「でも…今日の宿屋にあったよ」
「……は?」
「だって僕が「これピアノですか?」って聞いたら親父さんが『うちはどこにでもあるようなありきたりのモノは置いてねえんだよ!』って、自慢してた」
ディアスは顔を引きつらせた。正直、もう何年も楽器自体触っていない。それに、こんな剣だこだらけの無骨な手に扱われることを、楽器は嫌がりはしないだろうか?
「そんなに…聞きたいのか?」
「うん」
即答したクロードにディアスは溜息をついたが微笑みながら了承した。クロードもディアスの笑みにつられて微笑んだ。
「ディアス、これだよ、これ!」
宿につくなりクロードは嬉しそうにチェンバロのそばへと駆け寄って行った。
「……懐かしいな。これは本当に弾いてもいいのか?」
「うん。親父さんには言ってあるから」
「………そうか」
ディアスはじっとその美しい装飾で彩られた楽器を見つめていた。どれだけそうしていたのだろう。クロードがどうしたのかと尋ねてきた。
ディアスは少し気まずそうに頭をかく。椅子に座り試しに鍵盤を一つ叩いてみた。ピアノとは全く違う音にクロードが感嘆の声をあげる。
「言っておくが、本当に久しぶりで上手く弾けるかどうかわからんぞ。それでもいいのか?」
「もちろん。早く弾いて」
近くのソファに腰を下ろし、クロードはにこにこしている。ディアスは本日何度目か分からない溜息をついてチェンバロの演奏を始めた。
弦の優雅な音色が小さな宿のホールを包み込んだ。少し頼りなくも感じるようで、それでも力のある音色。流れるようなメロディは少しおぼつかなくも感じたが、気になるほどではなかった。
クロードは演奏するディアスと、彼が演奏するチェンバロの音にぼうっと感じ入っている様子であった。
突然、何とも歯切れの悪い所で演奏が止まった。
「…ディアス?」
「ここまでしか覚えていない」
ディアスはおそらく一分も演奏していない。しかし、たまたまロビーに居合わせた人間のほとんどがディアスの演奏に感銘を受けていたらしく、突然終わった演奏に驚いた人々がディアスを見ていたのでディアスは頭をかく。
「ほら、クロード。もういいだろう? いくぞ」
その視線に耐えきれなかったのか、ディアスは不満そうなクロードを促した。
「でもディアス、チェンバロ上手だったね」
「…そうか?」
あてがわれた部屋へ行くため廊下を歩いていると、突然クロードが話し始めた。
「そうだよ。あそこにいた人みんなが感動してたみたい」
「……莫迦いえ」
照れるのか、ディアスは頬を少し赤らめ、懐から部屋の鍵を取り出す。ちょうど部屋に到着したからだ。
部屋の中に入り、ベッドの上に腰を下ろすとクロードが抱きついてくる。
「どうした?」
「ディアスありがとう。素敵な誕生日プレゼントだったよ」
クロードが一体何をプレゼントだと言っているのか分からず、ディアスは首をかしげる。
「…さっきのチェンバロか?」
「そう。本当にありがとう。感動したよ」
「…莫迦。プレゼントくらいちゃんと用意してある」
「え? 嘘…」
ディアスの台詞にクロードは驚いて彼を見つめた。本当に驚いている様子のクロードにディアスは苦笑いをする。
「…用意していないと思っていたのか?」
「だって…ディアスって…そういうの疎そうだし…」
「……失礼な奴だな。…少し向こうを向いていろ」
クロードはバツが悪そうに頭をかいて言われたとおりディアスに背を向けた。後ろでごそごそという物音がする。一体どんなものをくれるのか、クロードは少し緊張して待っていた。
「目、つぶっておけよ」
「う…うん…」
なんなのだろうとドギマギしながらクロードは目を閉じた。視界が遮断されてよりディアスがたてている物音が気になってしまう。
「よし、もういいぞ」
言われてクロードは目を開け、ディアスの方へ向き直る。しかし、これといって先程と変化はみられず、一体何処にプレゼントがあるのだろうとクロードは首をかしげた。どうやら、何か大きなモノだと思っていたらしい。
「ほら」
鏡を手渡され、不思議に思いながらもクロードはそれをのぞき込む。
「あ……」
鏡に自分が映っていて、その首元に今まで無かったモノが輝いていた。――銀で作られたクロスのチョーカー。
「ディアス…これ…」
「気に入らないか?」
「ううん。そんなことない! 凄く素敵だよ。ありがとう」
クロードは嬉しくなって思いっきりディアスに抱きついた。銀のクロスの中央には紅いルビーが輝いている。数日前、ディアスがパーティの道具袋からルビーの原石のかけらをくすねていたことを思い出し、クロードはますます嬉しくなった。
「僕のために作ってくれたんだ?」
「…まぁな」
「ありがとう! やっぱりディアス、大好きだ!!」